ありがとうグッズ
「ありがとう」マグカップ
マグカップ

このマグカップは弊社の創業35周年を記念して作成したものです。
当初はマグカップの作成ではなく、35周年記念の「販促キャンペーン」という企画でした。飲料メーカーさんがよくやりますが、飲料水にシールを貼って、そのシールを集めて応募すれば豪華景品が当たるというものです。
しかし、売上のみを重視したキャンペーンに、地域に密着した和光ベンディングらしさがあるのかという疑問が生まれました。大手飲料メーカーさんがやっているキャンペーンの真似をすることが、本当にお客様にとっても弊社にとってもベストなのかと考えました。
結果として、和光は和光らしく、お客様への日頃の感謝を表す事が最も大切ではないかという結論に達しました。そして、その素直な気持ちを表現したのが、この「ありがとう」マグカップなんです。

また、このデザインを決める際にもエピソードがありました。
はじめはマグカップの作成メンバーで「ありがとう」の言葉を習字にしてみました。久しぶりに筆を取って書いてみたものの、なかなかうまくいきません。すると遠目で見ていた事務の女性が近づいてきて、「私も書いていいですか」と書き出しました。さらには、帰社してきた社員が「オレも書かせてよ」と連鎖は広がり、結局、社員全員が書いていました。
これには正直驚きました。今思うと、きっと、「ありがとう」の持つ言葉の力、言霊によるものではないかと感じております。
そして、その多くの習字の中から、投票により決定したのが、このデザインの「ありがとう」なんです。この字を書いた人は、3人の子供を持つ、ごくごく普通の女性です。会社では営業補助のパートとして、自販機の交換作業などの業務を担当しています。小さい体格で、飲料水を何ケースも持ち上げる力持ちの女性です。

このマグカップをもってみると、小さい「ありがとう」が自分側に来て、大きい「ありがとう」が相手に向かっています。通常マグカップは、メインの柄、大きい柄が自分の側にくるように作るものなんです。このマグカップは逆なんです。
それは、小さい「ありがとう」は私達からこのマグカップを使って下さる方への感謝の「ありがとう」です。大きい「ありがとう」は、その方からその方の大切な方々へ、家族、友人、お客様、社員、目の前にいる多くの大切な方々へ発信する感謝の「ありがとう」なんです。
目の前の人に発信するという事は、それで完結ではなく、その発信された人が、また誰かに発信する。そして、「ありがとう」の連鎖、チェーンを作っていく。
それが私達の願いなんです。
私達は「ありがとう」の言葉が、今の時代、とても大切だと考えております。
多くの人が声を出して「ありがとう」と言って頂きたいと思っております。

是非このマグカップを使って下さい。

「ありがとう」Tシャツ
ありがとうTシャツ

背中に「ありがとう」と書いてあります。

何故、胸ではなく背中に書いてあるのかと言いますと、自販機に商品を補充している時は、どうしてもお客様に背中を向けた作業が多くなってしまいますので、胸ではなく背中から「ありがとう」を発信しているのです。それも、弊社の社長が魂込めて書いた「ありがとう」です。

最初は、若い従業員は「えっ?これ着るんですか?」と嫌そうな顔していました。でも、慣れてくるとどうって事はありませんし、それ以上に自分達の周りの変化に気づき、むしろ、このTシャツで良かったと思います。このTシャツを着ながら無我夢中で仕事に励んでいると、お客様がどんどん話しかけてきてくれます。「素敵なTシャツねぇ」「良い言葉だね!」自然に声をかけてくれます。やはり、人を惹きつける言葉なんですね、「ありがとう」は。

創立40周年記念「ありがとうジャンパー」
ありがとうジャンパー

背中に、「ありがとう。ありがとう ありがとう」と書いてあります。

最初のありがとうは、「お客様」へのありがとうです。
私達の生活が成り立つのは、お客様がいらっしゃるからです。お客様がいらっしゃらなければ、会社が存続する事はできず、私達の生活基盤は築けません。ですから、まずは「お客様」に感謝して、パートナーとして末永いお付き合いができるよう「心友」になるのです。ただ親しいだけの「親友」ではなく、心が通じる「心友」になりたいと思っています。

そのためには、一に感謝、二に感謝、三にも四にも五にも感謝だと思っています。
忙しくなると、様々な事で「イライラ」する事があります。その時に「ありがとう」という言葉を思い出して、普段「当たり前」に思っていること、「仕事がある」「お客様がいらっしゃる」という事がどれだけ「有り難い」ことなのかを思い出し、感謝を忘れないで仕事をしようという強い「決意と覚悟」の「ありがとう」が一番目のありがとうなんです。

二つ目と三つ目は、別のありがとうです。
共通のありがとうではありません。社員それぞれのありがとうです。
ですから「。」が入って、一旦区切っているのです。

例えば、「両親へのありがとう」「子供へのありがとう」「同僚へのありがとう」「仲間へのありがとう」「社長へのありがとう」など、人それぞれ違います。

ちなみに、私ルートサービス部笹川和孝の二つ目のありがとうは、「妻へのありがとう」です。
仕事、家事、子育てと、毎日頑張ってくれていて、すごく感謝しています。
三つ目のありがとうは「従業員へのありがとう」です。
一人で仕事はできません。みんなの支えの中で仕事が出来ていると改めて思い、感謝しています。

私達和光ベンディングは、こういった「ありがとう」を日々背負って仕事をしている会社です!

ありがとうとは

ありがとう「感謝は幸福と繁栄の肥やしである」と弊社社訓の第九条にあります。
私達は誰しも幸せな人生を送りたいと思っています。しかし、そのためにどうすれば良いかを深くは考えませんし、考えたとしても実行をしないでいます。そして、日々、不平不満を唱え、ますます充実した人生から遠ざかっているように思えます。
幸せになるために、絶対的に必要な条件は感謝を知る事ではないでしょうか。そして、その感謝の重要性を十分に理解したのなら、行動を変える事が大切だと思います。「ありがとう」という言葉を意識的に繰り返し、自分の体に染み渡らせる事です。そうすれば、自然と有り難いと思われる事が周りに起こり、嬉しい人生をおくれるはずです。

「ありがとう」とは「有り難う」と書くように、「滅多に起こらない事が起きた」、それほど感謝すべき事が起きたという意味です。しかし私達は、実は毎日がその「滅多に無い」事である事に気づいていません。有り難いとは、何も珍しい事が起きるという意味ではありません。私達は日常に慣れてしまうと、何でも「当たり前」のように思ってしまいます。例えば、自分が本当に苦しい時に手を差し伸べてくれた人に対して、その出来事に対して、心から「ありがとう」という感謝の念を抱きますが、その苦しさから開放され、ごく当たり前の日常に戻ると、その苦しさも、その有り難さも忘れてしまう生き物です。本当は日常の生活の全てが奇跡の連続であるという事を忘却してしまうのです。
苦しい時に出会った人は神や仏に見えます。その人やその人の行いには、何も意識せずとも、自然と手と手を合わせて拝んでしまいますし、気がつけば深々と頭を下げているでしょう。いくら謝っても、謝りつくせない心情が体から滲み出て、純粋な気持ちで「ありがとう」という言葉が口から出てしまいます。その時の私達は、きっと輝いているはずです。人間が本来持っている謙虚で素直な神仏の心が表に現れている状態のはずです。

しかし、人間は感謝を忘れ傲慢な一面を見せる動物でもあります。非常に自己中心的な面を誰しも持っています。しかし、それと同時に「そんな人間にはなりたくない」という価値観を、皆、持っています。誰もが切望する美徳です。相手を思いやり、素直で謙虚な自分になりたいと、誰もが思っています。

では、そんな人間になるためにはどうすれば良いのでしょうか。そのためには行動を変える事です。「知行合一」知っていれば、本当にわかっていれば行動に現れているという意味ですが、実は逆も真なり、いや、むしろ逆の方が本質を現しています。私達は行動を変えれば、自然と理解が深まり心も変わるのです。心身一如、心と体は一体です。特に、「ありがとう」という言葉には特別なエネルギーがあります。例えば、「ありがとう」と書いた紙を貼った水と、「ばかやろう」と書いた紙を貼った水を比べると、「ありがとう」と書いた方の水は腐らないそうです。言霊と言われるように言葉にはエネルギーがあります。その中でも、「ありがとう」は断トツにそのエネルギーが高いそうです。そして、そのエネルギーによって、私達に奇跡と思われる出来事が次々に起るようになるそうです。

この際、「心を込めて」というような事は必要ありません。「ありがとう」のエネルギーが私達に良い作用を促してくれるからです。「ありがとう」と2万回言えば常に良い気分になります。10万回言えば体の調子が良くなります。そして、100万回言えば奇跡が起きて、癌でも治るそうです。これは、決して超常現象のような話ではなく、科学的であり、心理学的な現象なのだそうです。私達が言葉に出した事は、何の疑いもなく、自己の潜在意識に落とし込まれる事がわかっています。良い事も悪い事もです。だから、常に「ありがとう」という言葉を発している人は、心が素直で謙虚になります。当然、そのような人の周りには、同じように心が素直で謙虚な人が集まり、それが伝染していくのです。人を騙すとか、蔑むとかいうような輩は寄って来なくなるのです。だから、そういう人の周りには「運」が良い事が起きてきます。つまり、「ありがとう」と言う事は、感謝の先払いをしている事になります。「ありがとう」と言えば、必ず、有り難い事が自分に返ってくるわけです。究極の損得勘定であり、究極の善循環システムと言えます。

では、何故、「ありがとう」という言葉は、それ程のエネルギーを持っているのでしょうか。英語では「Thank you」と言います。サンキューは「あなた」、つまり目の前の人に対して言う言葉です。では、「ありがとう」はどうでしょう。目の前の人だけではありません。いや、人だけでもありません。私達が有り難い出来事に出会うのは、身の周りの全ての人やものや自然のおかげです。本当の「ありがとう」を身につけるというのは、心からそう思えるようになるまで、繰り返し繰り返し言い続ける事なのです。愚痴や不平不満を言っている時には、私達は「不」のエネルギー、マイナスのエネルギーを吐き出し、そして、それをまた受け取っているのです。自分で吐いた毒が、再び何倍にもなって自分の潜在意識に落とし込まれてしまいます。そうなったら、決して平穏な心の状態にはなりません。いつもイライラして、いつも飢餓状態で不幸せな人生を送る事になってしまいます。せっかく幸せに生きる能力を持って生れてきたのに、自らその能力を放棄して苦しんで生きる事になってしまいます。それを解決するのは簡単な方法です。ただただ、「ありがとう」と唱えれば良いのです。意識をして、無意識になるまで唱えれば良いのです。そうすれば、いつしか、私達の「ありがとう」は本物になり、自分を認め、相手を認め、全ての人を認め、心と心を通わせる友が多くなり、充実した人生を送る事ができるようになるのです。

商売に関しても同じ事です。実際、お客様の事を第一に考えれば、こちらの利益が無くなっていきます。効率が悪くなります。商人は、この矛盾の中で商売を行っていかなければなりません。自己の、自社の利益を追求し続けなければならないけれど、決して自己中心的な商いをしてはなりません。そこに繁栄はありません。常に、自分の中のピュアな気持ち、お客様にできうる限りの満足を提供したいという純粋な気持ちを持ち続け、バランスをとっていかなければなりません。それが商人の道だと思います。

和と言うように、それこそ、口で言うのは簡単ですが、実際に自分はどうかと問うてみると情けなくなります。自分は如何に感謝が足りない人間か、嫌になるほど感じます。苦しい時だけ神頼み。苦しい時だけ人に感謝をします。自分が順調に戻れば、余裕があれば、調子に乗って感謝を忘れてしまいます。しかし、感謝をする事が、自分が毎日を幸せに生きるための条件だと知った以上、ありがとうを言い続けられる人間になりたいと思います。折角、人間に生れて、幸せを感じられる能力をもらって生れてきたのだから、心穏やかな日々を過ごしたいと思います。

私が一番感謝しているのは祖母です。私が未熟児で生れてきても、今こうして五体満足に生きていられるのは祖母の献身的な看病のおかげらしいのです。そんな事をわかろうともせず、結局、孝行する事はできませんでした。末期癌で入院中の病院のベッド、祖母と二人で昔話をした事を忘れる事ができません。子供の頃、祖母に連れられてバスに乗って楽しい時を過ごした事を思い出しました。非常に厳しい祖母でありましたが、非常に愛情が深い人でした。もっとたくさん優しい言葉をかけてあげれば良かったのですが、思春期の自分には恥ずかしくてできませんでした。そんな思いを抱きながら話をしました。そして、数日後にはモルヒネによって意識が朦朧としていました。もう、私の事もわからないかもしれません。でも、私は両手を握りながら、何度も何度も「ありがとう」と唱えました。せめて、孝行は出来ずとも、この感謝の気持ちだけは届いて欲しかったです。

父親が「後は頼む」と泣き崩れました。仕事に関する事で親子関係がうまくいっていませんでした。親父の病気も影響していました。私は心の中で親父を責めていました。自分を理解しようとしない親父を批難していました。しかし、あの日のあの光景によって大きく変わりました。この人にとっては仕事が人生の全てだったんだなあ。そこまでの思い入れで生きてきたのだなあ。自分はどうなんだろう。そこまでの覚悟と決意があったのだろうか。すごく自分が小さく見えました。その事を気づかせてくれたのは親父です。私は自分が置かれている立場を本当の意味で理解し始めたのだと思います。また、父親と私の間に立って、苦しい思いをしてきた母親に対しても、申し訳なく、有り難い気持ちになりました。両親がいて、自分がいるという当たり前の事を、あらためて実感した瞬間でした。

妻と子供にも感謝しています。人を愛するという事がわかったのは家族のおかげです。振り返ってみれば、私は人を愛する事がなかったのかもしれません。臆病者で必要以上に人と関わるのを怖れ、一定の距離を保っていたような気がします。結婚する前は一人で生活をしていますから自由です。心身共に自由です。そもそも私は自由でないと生きていけない我がままです。当然、結婚してからも自由人のままです。娘が生まれて大変な時も、家で食事をするのは月に数日という生活を続けていました。そのお陰で毎週のようにカミさんには離婚すると言われていましたが。それでも、諦めたのか、受け止めてくれたのか、カミさんも娘も息子も仲良くやっています。我がままな父親と一緒に居てくれる家族に感謝しています。家族を持って安心感があります。また、自分の分身を持って、自分のDNAが伝承される喜びを感じ、彼らと共に幸せな人生を送りたいと切に思います。

従業員や仲間達へも感謝しています。今までは従業員や仲間は大切だとは思っても、どこか他人事だったと思います。最近は、せっかくご縁があって知り合った人達が、皆、幸せになって欲しいと心から思うようになりました。家族とまったく同じとは言いませんが、自分の分身のように喜怒哀楽を分かち合いたいと思うようになりました。 特に会社の従業員とは、貴重な人生の中の非常に多くの時間を共有しています。寝ている時間を除けば人生の半分近くの時間、何らかの関わりを持っているのが会社の仲間達です。その時間が充実しているか、その時間に幸福感があるか、これがその人の人生の充実感や幸福感に大きな影響を与えている事は間違いありません。
この会社には、本当にいい人が集まっています。ありがたい。だからこそ、相手もそう思ってもらえるような会社、いや“場”にしたいと思っています。

自分がもらってきた、たくさんの「ありがとう」を、今度は少しずつでも皆にかえしていけたら良いと思います。自分がもらってきた、たくさんの愛情を、今度は自分の周りの人達に、精一杯の愛情を託して伝えていきたいと思います。「ありがとう」を伝承していきたいと思います。

私の使命

私は、出会いの中で、“ありがとう”を感じ、
それを喜びとし、暖かい時間を大切にし、
あなたの成長を見守り、精一杯の愛情をたくして、
私は生きていきます。

平成17年7月8日

幸福の六法拝