“ 法水(ほうすい) ”は俗名を加藤吉之助(かとうきちのすけ)と言い、号は「大愚(たいぐ)」であった。法水は、越後国(えちごのくに)沼垂郡(ぬたりのこおり:現・北蒲原郡)京ヶ瀬村に生まれた。父、加藤華乃輔(かとうはなのすけ)はこの地区の大庄屋であり、有名な書家でもあった。華乃輔はたいそう磊落豪雄(らいらくごうゆう)な性格で、村のためなら命をかけて闘ったので、村人からの信頼も厚く、非常に尊敬されていた。また、酒と女を好む豪快な男であったので、毎晩のように加藤邸には多くの村人が酒宴を求めて集まっていた。
その頃、法水は庄屋の後を継ぐために、無我夢中で勉学に励んでいた。14歳にして、儒教、道教、仏教を修め、聡明才弁(そうめいさいべん)な人物へと成長していった。しかし、庄屋の見習いであった法水は18歳のとき、裏山で鳳凰と出会い、感じるところあって出家した。また、実はこの時期に、法水には妻が居たらしいが、この妻とは出家直前に離縁したようである。子供がいたかは不明である。出家後、京都嵐山の白雲和尚(びゃくうんおしょう)に師事するが、28歳の時、寺での修行では飽き足らず、山野での修行に入る。35歳で一度、京都に戻るが、戻るまでの7年間で何をしていたのかは不明である。
その後、諸国を廻り、38歳のとき、越後国新津(にいつ:現・新潟市秋葉区)秋葉山(あきはやま)白蓮寺(びゃくれんじ)の住職となる。その後、50歳になると、秋葉山の外れにある白蓮寺の和光庵にて隠居生活を始める。
長年の修行を重ねた法水は深沈厚重(しんちんこうじゅう)な人物となり、不平不満、愚痴、泣き言、悪口などは一切言わず、いつも「ありがとう」と言っていた。また法水は、難しい説法や説教を行うことはなく、自らの質素な生活を示す事や、簡単な言葉によって一般庶民に解り易く法を説いた。その姿勢は一般民衆のみならず、様々な人々の共感や信頼を得ることになったので、和光庵には、いつも多くの子供や大人がいた。まりをついたり、和歌を詠んだり、書を書いたりしていた。また、戒律の厳しい禅宗の修行も積んだ法水であるが、酒を好み、女性を愛した。和光庵では、法水を慕う民が頻繁に杯を交わしにやって来た。
この時代、和光庵の近くでは、渋みが少なく甘みが強い銘茶がとれたそうである。新潟と言えば「酒処」として有名であるが、実は、「茶処」としても有名だったそうである。気候の関係で渋みが少なく甘みが強い茶葉が育ち、それが雪どけの伏流水と融合し、美味しいお茶が完成するのである。そしてなにより、法水の心が溶け込んでいる、それが越後和光庵のお茶である。
※当時、法水は南蛮人とも交流があり、彼らは、法水を「ポゥスィー」と呼んでいた。そこから「パーシー」とも呼ばれている。
お茶の三煎
お茶の主な成分は、甘味を感じる「テアニン」、苦味を感じる「カフェイン」、そして、渋味を感じる「カテキン」の3つがあります。
一煎目は、水出し(湯冷まし)で抽出します。
お茶の旨味成分であり、甘味を感じる「テアニン」が多く抽出され、苦味・渋味のない、甘味の強いお茶がいただけます。
二煎目は、少し低い温度で抽出します。
3つの成分がバランスよく溶け出し、甘味・苦味・渋味が程好くブレンドされた美味しいお茶がいただけます。
三煎目は、熱湯で抽出します。
カフェイン・カテキンが大量に溶け出し、苦味・渋味が効いたお茶になります。この渋味こそがお茶の醍醐味なのです。
以上のように、二煎目以降は、旨味成分である「テアニン」の抽出量はかなり減ってしまうのに対して、苦味・渋味成分で ある「カフェイン」や「カテキン」は一煎目と比較して極端に抽出量が落ちません。そうなると、甘味、苦味、渋味のバランスによって、一煎目は甘味を強く感じ、二煎目、三煎目は苦味や渋味を感じるわけです。ですから、お茶は「甘さ、苦さ、渋さ」の3つの味のバランスによって成り立っています。甘味、苦味、渋味は「三味一体」なのです。本当の旨味とは、苦味や渋味の中にある甘味だという事を、昔の茶人はよくよく知っていたのですね。
人生の三煎
お茶の三煎の話をしましたが、よく読んで味わってみると、「生きる」という事と同じだと思いませんか。子供のうちは甘いものを好みます。もちろん、大人になっても甘いものを好む方はたくさんいらっしゃいますが、でも、やはり、総じて子供は甘いものを好みます。また、食べ物だけでなく、親や先生には「甘い言葉」を期待します。
それが、ある程度の年齢になってくると、少しビターな食べ物も好むようになり、「甘言」だけでなく「苦言」のありがたみがわかるようになっていきます。そして、永い時間と多くの経験を積み重ねる事によって、人生の「侘びしさ」や「寂しさ」にも趣を感じるようになります。この段階になると、自ずと「渋い」食べ物を好むようになります。
お茶の醍醐味
幼稚で未熟な子供には飲んで欲しくない。
生意気盛りの息子や娘にも飲んで欲しくない。
永い時間と多くの経験を積み重ね、人間の渋さが程好くにじみ出て、
しみじみと人生の醍醐味について語り合える方々にだけ、
このお茶は飲んで欲しい。